こんにちは。岐阜市の買取専門のリサイクルショップ。ヒライヤのヒライサトシです。
夏の厳しいジリジリとした暑さを当たり前に思っていたら、秋の優しい風が急に吹き、僕らに突然感傷を運んできます。
秋は、胸が締め付けられる季節ですね。
昔、海外出張ばかり行っていたウチの父親は、半年帰って来ない事なんてざらで。時に1年帰って来ないなんて事もありました。
ウチのお姉ちゃんが3歳くらいの時、1年以上のエジプト出張から帰ってきた父親を誰かわからずに、。
「知らないおじさんが来た!!」って叫んで、泣きまくりだったみたいだし。
僕が6歳くらいの時に覚えている父親の記憶は、
平井家の電話に1番に出る事に当時夢中だった僕が、いつものように、はりきって電話に出ると、それはパキスタンからの国際電話。
なんかいつもと違う電子音が鳴り、取り次ぎの外国人の声。外国語。怖くて一気に緊張してると、
お父さんが電話に出て、「さとしか」って、遠い声。
ちょっと話したら、ちゃんとお父さんだってわかるんだけど、僕はなんかとても怖くて「ママ〜!」と叫んで、すぐにその電話をお母さんに変わってしまい。
その後「さとし、電話に出てパパとしゃべってあげなさい」って言われても、怖くて嫌で。。
何週間に一回の電話でさえ、まともに話さなかった。。
お父さんはその頃どんな気持ちで、どんな葛藤の中、あんなにも厳しいサラリーマンを続けたんだろうな。。
僕にとってお父さんは、多くの時間を共に過ごしたとゆう記憶よりは、毎日6時半に家を出て行き、10時に帰ってくる記憶ばかり。
遅くに僕らのいる2階のリビングにご飯をお盆で運び。ビンビールを必ず1本飲んでご飯を食べて。
僕はお腹が減っていて、その時間のご飯がいつもうらやましかった。
母親は、小中学校の先生で、完全な共働き。
僕の育った揖斐郡と同じ西濃地区の先生だから、入学式、卒業式、運動会などほとんどの行事が、
お母さんの勤めてる学校でも同じ日に行われてて、僕とお姉ちゃんの行事には、何にも来れなかったんです。
だから、授業参観から三者懇談からなにからも、すべておばあちゃんがきてくれてました。
母親のもっと小さい時の記憶は、
母親は初代のレガシーに乗っていて、朝の7時過ぎ、ガレージの2階で寝ている僕は、
毎朝レガシーのエンジンがかかる音で目が覚めて、急いでお母さんに会いに行くんだけど、毎回毎回間に合わなくて、。
寝る前に、「ママ!絶対起こしてよ!」って毎日頼むんだけど、気持ちよさそうに寝る僕を母親はやはり起こせなかったみたいで、
毎朝泣きじゃくる時期がしばらくの間続いた。
今でもあの独特のレガシーの水平対向エンジンの音が記憶から消えてなくて、。
もう今はその車を街で見なくなったけど、大学生くらいまでは、走ってたから。
音が聞こえるだけで、そっちを見なくてもレガシーがきたって分かって、心拍数が上がった。。
大学生にもなって、泣きそうになってたな。。完璧なトラウマだった。
お父さんが海外から送ってくれた旅行のプレゼントで、おじいちゃんおばあちゃんお母さんとお姉ちゃんと僕で、ナガシマスパーランドに行った事や、セツエさん(隣の駄菓子屋のおばちゃん)に乗せてもらい、隣町のスーパーにおもちゃを買いにおばあちゃんと行ってた事とか。いっぱいのそうゆう思い出。
当時僕は、何かの行事に家族が全員揃わない事に過剰に敏感になっていて。
お父さんと2人でスキーに行くと、昼ごはんのロッジで、隣の席にみんなが揃った家族を見ると
それだけで心がハラハラしてた記憶がある。
その日お母さんはスキーに来れないんじゃなくて、たまたま家にいるだけで。
なんなら、「パパとふたりでいくー!」って朝張り切って家をでたのに。
当時はそんな妙なスイッチを持ってしまっていた子供だった。
でもおじいちゃんおばあちゃんがずっといたから、当時、実際は寂しい感情はあまりなく、全然気にしてなかったんです。
大人になって、過去を振り返る事が出来るようになった頃、やっと自分のそんな思いに気づいたって感じだったかな。
だからこの小さい時の思い出達も、意外にそんなに寂しい記憶でもないんです。
少なくとも、そんなことよりも、バリバリ働く両親が僕の自慢だったんですよね。
小学校の社会の授業で、「海外の日本人の仕事」みたいなのが内容だった時に、
担任の石橋先生が、さとしくんのお父さんはこうゆう仕事だねってみんなの前で言ってくれた時、
すごく得意な気持ちになった。あの時の石橋先生の優しさは忘れないな。
僕にとって両親は、今思ってみても、いつも最高だった。
取り立てて寂しかった実感もない。
でも、秋になると、僕はいつもこの記憶を思い出し、このセンチメンタリズムに毎年包まれています。
それは、、、
ぼくの夏休みには、同じく母親も夏休み。
唯一お母さんが家にいることがいつもより多くなる夏休み。
僕にとってその夏休みが、母親と多く過ごせる特別なものだったんだろうな。。
だから夏の終わりは、お母さんとの時間の終わり。そう深く僕に刻まれた。
だからこの季節。
夏休みの終わる季節を、僕は今でも苦手なんだろうな。。
僕にも子どもが産まれ、小春ちゃんと過ごす初めての季節。夏の終わり。今日は伊吹山に行ってきました。
遠くへドライブして、今は疲れて眠る二人。
小春ちゃんと僕らは、いっぱい時間を過ごしてあげられるといいな。
そして、
おじいちゃんおばあちゃんとも、小春ちゃんは、僕の分もいっぱい時間を過ごしてくれるといいな。
僕の小さい時。僕よりもずっと、僕のお父さんとお母さんの方が、
僕と一緒にいられなくてツラかったのを、僕は君が生まれて分かったんだよ。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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