こんにちは、岐阜市琴塚のリサイクルショップ、ヒライヤのヒライサトシです。
2月1日から新しいスタッフが増えたので、今日は新人スタッフの紹介を書かせて頂きます!
皆様に彼を、よろしくお願いさせて頂きたいので、こちらのブログでご紹介させて下さい!
「山本優樹」ヤマモトユウキ35歳。僕とリエの2つ下。古田やミッチーの8コ上です。
三重県志摩市出身。みんなが旅行で行くあの伊勢志摩の海の近くの生まれなんです。
超田舎っ子で純粋な人です。
実はこのユウキ、何を隠そう僕の親友なんです。
僕がバンドを必死にやっていた20代の頃。
僕にとってユウキは、売れないバンド活動の苦労を共にした、かけがえのない仲間だったんです。
ユウキは三重県で「at Anytime」、略してアトエニってバンドをやっていて
僕は岐阜で「kidd」キッドとゆうバンドをやっています。
2つのバンドはメンバーの年令も近く、とても仲良くしていました。
一緒に全国ツアーを回ったりしていていっぱいの時間を過ごしました。
同志でした。
ユウキとの思い出は山ほどあって、何を1番にこのブログで紹介するのか迷いました。
ユウキと僕は、その全ての思い出はバンド活動の記憶となります。
今回このブログで書くエピソードは、
あまり人に見せた事のない、僕のダークサイドの記憶を呼び起こす作業になりました。
ユウキと多くの時を過ごしたあの頃。
僕は音楽を楽しむ事を完全に忘れていたんです。
間違いなく僕の人生で最もドン底だった日々。
苦悩、苦痛、苦行。
苦しんで苦しんで苦しんで、夢を追いかけた。
夢を追いかけるのは、苦しい物なのだと、疑いもしなかった。。
それはユウキも例外ではなく。
お互い苦労を共にする事で、それをそのレベルで理解できる唯一の同志として、
僕とユウキは友情を積み上げたんだと思います。
もう10年とかも前になるのか。。
ある時、ユウキがバイトで手に大きな怪我をしました。
ベースが弾けず、仕事もバンドもできなくなった時がありました。
ゆうきはその頃、バンドで大きく悩んでいて、
僕はそんなユウキを見かね、10日とか、2週間とかだったのかな、
ユウキと一緒に志摩のご実家に行き、ただひたすらに一緒に時を過ごしたんです。
毎日何をしたんだっけか、
覚えてるのは、
一緒にパチンコをし、酒を飲み、海に行き、タコ焼きを食べ、スーパーに行き、毎日お母さんの作ってくれたご飯を食べる。
その後もまた離れでひたすらに語り合い、お酒を飲んで寝る。
何をしてたわけでもなく、ただ何もせず純粋に遊んだって感じだったのかな。
ユウキにとってあの2週間が、どうゆう意味を持ったのかは僕には分からないけど。
あの時のユウキは、僕から見ても、かわいそうな位病んでいて、人間不信になっていた。
まあ変な話。
こいつもしかしたら死ぬかもしれないなって思わせるほど落ち込んでいた。
僕はそんなユウキを放っておけず、仕事もせずユウキと一緒にいたワケなんだけど。
かといって僕は、ユウキに何ができたわけでもなかったと思う。
今思うと。
あの頃は僕もまだ子供で。
誰かの胸に届く言葉を言える力なんてなかったと思う。ただ、ユウキの助けかたもわからずに。
それでもユウキのために出来る事は、そうやって一緒にいる事だったんだと思う。
そして、本当のところ。
僕もあの時、ユウキと同じで
人生に病んでたんだと思う。
ゆうきを助ける大義名分で志摩に行ったんだけど。
あれは僕にとっても確実に、現実逃避でしかなかったんだと思う。
名古屋に住んでバンドをやっていた僕は、あの頃全てにもう疲れていた。
あの志摩の海と空気。
温かいご両親と、ユウキとのひたすらの会話で、助けられたのは実は僕だったんだと思う。
今でも思い出す。
夏のごつごつした海。庭のひまわり。改装中の校舎。子供達。さびれたかき氷屋。タコ焼き。毎日夕飯の前に入るシャワーや、風呂上がりの夕方の気候。
都会でのバンドの苦悩とノイズ。
志摩の静かな音。
ユウキのご両親。
作ってくれたカレーの味。
思い出すだけで、とてもじゃなく涙が出そうなあの2週間の夏の記憶。
吐き気がするほどうまくいかない現実に立ち向かうために、必死で充電をしてる様な時を過ごした。
僕にとって、人生で最期の夏休みだったんだと思う。
あれから10年。
この何年間、お互い忙しくユウキとはあまり連絡を取れていなかったから、今回ユウキがヒライヤで働く事になるとは、僕はあまり想像はしていませんでした。
去年の暮れにユウキから連絡をもらい、仕事を一緒にさせて下さいと言われた時、いろいろな必然を感じました。
ユウキは僕よりも、いっぱい長い間バンドをやりました。
僕が見れなかった、いろんな景色を見ただろう。
苦しい事、悲しい事、楽しい事も、泣ける事も、挫折も達成感も、
寝不足のバイトやツアーの長距離運転、金のない日々
僕も相当経験してきましたが、
ユウキは僕より経験しています。
ヒライヤの若いみんなには、頼りになると思います。
ヒライヤの優しいお兄さんとして、
ユウキがこれから皆様にも愛して頂ける様に、努力していくと思います。
皆様、これからよろしくお願い致します!
山本優樹(35歳)独身。at Anytimeのベース。趣味。素潜り。ラルク好き。
ヒライヤは土日祝関係なく、店頭、電話受付を年中無休で受け付けております。
岐阜のリサイクル・買取り専門「ヒライヤ」では
お客様が大切にしていたものを高価買取りさせていただいています!
出張買取り、メール・ライン査定、電話査定なども行っていますのでご相談下さい!
この記事を書いた人

- リサイクルショップヒライヤの代表平井です。
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