ご覧いただきありがとうございます。
岐阜市琴塚の買取専門リサイクルショップ、「ヒライヤ」スタッフのリエです。
今回もタイトル通りリサイクルに関係ないお話ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです!
私がこのヒライヤのブログを書かせていただくことになって、今年の初めから何回か記事を書かせていただきました。
しかし、途中から私の記事がぱったりとなくなった時期がありました。大体1月末〜だったと思います。
実はその期間に手術入院していたのです。
私が娘を出産したのが2015年9月で、それからは育児に専念でずーっと子育てと専業主婦でした。
そしてその頃は旦那さんも忙しく、夜も遅くほとんど家にいないという感じで、ほぼ一人で育児をしているような状況になっていました。
その頃なぜか、テレビは母親ほぼ一人で育児を頑張る、という内容の番組が多く、私もそれを娘を抱っこしながら見ては「みんな頑張ってるんだな」と思っていました。
旦那さんは家にいるときは育児を頑張ってくれていました。お風呂も一緒に入って寝かしつけも。これは今もやってくれています。
娘が1歳になったあたりで、私はよく腹痛を起こすようになっていました。
もともと腸がそんなに丈夫ではないので、「なんか食べ合わせが悪かったかな」程度にしかその頃は思っていませんでした。
あと乳製品を取った時に痛くなったりも多々あったので、好きなカフェオレをやめてみたり、ケーキとかは食べないようにしていました。
それでも腹痛は不定期的に起こります。時にはものすごい激痛でどんな姿勢でも痛くて痛くて、冷や汗もものすごい出て来てしまって、もう救急車呼ぶか?という手前くらいの時もあったり。
正露丸を飲んでもロキソニンを飲んでも効かなくて、トイレにこもるしかありませんでした。
見かねた母親が、私に「絶対大腸の検査受けた方がいいよ。その腹痛は尋常じゃないから」と言ってきました。
母親も以前似たような腹痛があり、検査してポリープを切除していました。なので余計に心配だったようです。
私も自分でもこれは本当におかしいと思ったので、近所の少し大きな病院で大腸内視鏡の検査を受けました。
その検査で、私の腸内に大きなできもの、腫瘍ができているのが見つかりました。私も検査を受けながらモニターを見ていたので、その大きさにびっくりしました。
検査をしてくださった先生は「これはもっと大きな病院で見てもらって・・・多分手術で取ることになると思う」と私に言いました。
私はその腫瘍の大きさを自分でも見たので、「これはほっとくとダメなやつだ」と思っていたのですぐ大きい病院を手配してもらいました。
それから半月後くらいに岐阜県総合医療センターでCT検査を受けました。
そしてその検査を受けた次の日の夜、もうすぐ晩御飯の準備をしようかなという時に一本の電話。
「木村さんのCTの結果を今見てるんですが、申し訳ないですが救急で病院まできてくれませんか」と。
すぐに旦那さんに電話し、丁度もうすぐ帰るとこだったからすぐ帰ると言ってくれ、娘も連れて3人で病院に向かいました。
そして外科の先生に診察を受け、なんとその日から緊急入院することに・・・。夜はご飯を食べてないと伝えたらそのまま絶食に入るねと看護婦さんに言われました。
心電図検査を受け、点滴をつけられました。「これからしばらくこれが木村さんの食事になるから」と言われました。
初めはこの点滴だけでお腹すいて耐えられない、とかなるのかな・・・と思いましたが案外大丈夫でした。
入院の手続きを終えて、娘と旦那さんと別れ大部屋の隅っこの部屋でポツンと残されてしまいました。さすがにいきなりのことでその日はよく眠れませんでした。
私の病名は横行結腸粘膜下腫瘍(おうこうけっちょうねんまくかしゅよう)という病気でした。
大腸の胃に近い、横に伸びた部分に腫瘍ができていたのです。
できた腫瘍のあるところを腸ごと切除してしまい、つなぎ合わせる手術をするよと説明を受けました。
手術の日が2月17日に決まり、私は絶食だけなのでまだ体も元気で、看護婦さんにもなるべく歩いてくれと言われていたのでしょっちゅう売店で本読んだりしていました。絶食なのでなるべく食べ物は見ないようにしていました。
シャワーやお風呂も入っていたので腕の点滴以外は病人ぽくなかったです。
食べてないせいか、絶食中は腹痛が起こることもありませんでした。
手術当日。手術の服に着替えて歩いて看護婦さんと談笑しながら手術室に向かったので、中に入るまでは全然実感が湧きませんでした。
中に入って背中に麻酔を打ったあたりからもう記憶がありませんでした。手術の間、少し夢を見てたんですが、今はどんな夢だったのか覚えていません。結構楽しい夢だった気がします。
意識が戻ってから4日くらい高熱が続いて、一時期39度とかまで出てさすがにしんどかったです。常時頭と両脇、股にアイスノンを挟んでいました。
いろいろ体に管がついてたので身動きも取れず、テレビを見る気にもならず天井を見つめたり寝たりを繰り返していました。
まだ30代だからか回復が早く、体の管が取れてからはすぐ歩けるようになり、手術から10日ほどで退院しました。私の入院していた病棟は私が最年少だったし、この年齢でかかる人の方が少ない病気だったようです。
今もその切除部分を病院側が調べてるそうなんですが、未だに原因がわからないようで・・・ちょっとまだ分かるまで不安ですね・・・。分かったら電話で来院するように連絡が来るそうです。
術後なのでまだ食品の制限はありますが、本当にあの時母親の言うことを聞いて検査に行ってよかったと思っています。
行ってなかったら腫瘍は見つけれてないしまだ腹痛に苦しんでいたと思います。
手術の痕もだいぶわからなくなってきています。縫合したところは糸が溶けるみたいで抜糸いらず!最近の医療ってすごいですね。
入院中は旦那さん、母親、お姑さんに本当にお世話になりました。感謝してもしきれません。娘も私がいないのは分かっていたと思いますが、元気にしててくれました。
健康じゃないと体だけでなく心もしんどいし、笑顔になれなくなってしまいます。
ましてや私も母親なので、いつも元気で笑顔じゃないと家族も元気にすることができません。
なので病院に行って治る病気なら、ほっとかないですぐに行くべきだと心から思いました。
もしこのブログを読んで、自分の体で気になるところがあれば「診てもらおう」と思ってくれたらいいな、と思います!
長くなりましたが最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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この記事を書いた人

- 特技がアクセサリー作りです。金属アレルギーなのでヘンプ紐でマクラメ編みという技法を使ったアクセサリーを作っています!
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