こんにちは。岐阜リサイクル・買取り専門「ヒライヤ」代表の平井です。
今日はお店の話とちょっとそれますが、親戚のおばさんの話をしたいと思います。
写真は向かって左からお母さん、お父さん、僕、お姉ちゃん、おばあちゃんです。
もう2.3ヶ月経ちますが、先日、僕の最愛の親戚のミエコおばちゃん(僕の祖母の妹)が亡くなりました。
僕は小さい頃、両親が共働きで、帰りも遅く、おじいちゃんおばあちゃんと過ごす時間が多い子供でした。ご飯は基本的におじいちゃんおばあちゃんと。おばあちゃんの作った物を食べて育ちました。
うちのおばあちゃんは、太陽のように明るく、人に物をあげすぎな位あげる人で。
人に与えて与えて人生を終えた人でした。
その中でも僕は、おばあちゃんの1番の宝物の様に育ててもらい、その愛は到底おばあちゃんの生きている間では返しきれませんでした。
父は海外出張ばかりで半年家に帰って来ないなんてザラで、母も学校の先生だったので、僕と姉の入学式、卒業式、運動会などの大事な学校行事は母も同じ日になり、両親が学校行事に来れない事は、僕と姉には当たり前でした。そんな環境の中、ウチのおばあちゃんは親の様に、僕と姉を一生懸命育ててくれました。
ウチのおばあちゃんは7人兄弟で、しっかり者の長女。
そして、先日無くなったミエコおばちゃんは末っ子の妹。昔は兄弟が多く、歳も離れているし、おそらく末っ子のミエコおばちゃんが産まれた時、長女であるウチのおばあちゃんは、めちゃくちゃ可愛がったのだと思います。
ウチのおばあちゃんとミエコおばちゃんは、7人兄弟の中でも1番の仲良しでした。
ミエコおばちゃんは車で15分の隣町(大野町)に住んでいたのですが、夕飯の後、1週間に1.2回必ずウチへ遊びに来ていました。
いつも、おばあちゃんとミエコおばちゃんは、
よくもまあそんなに話が続くなあ
ってくらい楽しそうにおしゃべりして帰っていきました。それが週に2回。そんな時、僕はミエコおばちゃんにも最高に可愛がってもらいました。
うちのおじいちゃんおばあちゃんは車に乗れず、両親も帰りが遅いので、買い物はいつもウチの隣の家の八百屋平井商店(通称セツエさん)です。
谷汲村の八百屋には当然ハイカラなものは売っていないので(僕は谷汲村出身です。)、ミエコおばちゃんは来る度、僕と姉に町から色んな物を僕らが喜ぶだろうと、届けて来てくれていました。
ミエコおばちゃんには、息子が2人。僕よりも12歳ほど上のマー君とトシ君。
僕と姉の運動会の時、両親が来れないのでミエコおばちゃんは、当時18歳位だった息子の運動神経抜群のマー君を連れて運動会に来てくれていました。
僕の父親役で運動会に出たマー君は、いつも他のお父さんに比べてぶっちぎりのトップでゴール。運動会に父親が来れない僕のコンプレックスなんかぶっ飛ばして、僕のヒーローになりました。
青いジャージがマー君、その左にいるのが僕です。
みんなの愛で、両親があまり家にいなくても、全然寂しい思いもすることなく、育ててもらいました。
ウチのおばあちゃんは僕がまだ大学生の時に、70歳くらいで亡くなりました。
あまりに何も返せず、実感もわかず、そんなに泣かなかった事を覚えています。
そのお通夜の夜、ミエコおばちゃんが
おばあちゃんが僕らにご飯をずっと作ってくれていたウチの家の台所に立ち、包丁を持ったまま向こうを向いて、肩を震わせ泣いていました。その後ろ姿を今でもはっきり覚えています。
ウチのおばあちゃんの元気な頃にそっくりな背中に僕が喋りかけると、「姉ちゃんここに立ってずっと頑張っとったな。。」と。
その時に少し、僕も泣きました。
それから15.6年。当時のウチのおばあちゃんより、年上になったミエコおばちゃんは長い間、入退院を繰り返して亡くなりました。
亡くなる少し前、お腹が大きくなった奥さんを連れて病院に行った時、「女の子やと思う」と奥さんの顔を見て、ミエコおばちゃんは言いました。
実際に性別は女の子だったのですが、その時周りの人ほとんどに男の子じゃないかと言われていて、当たったのはミエコおばちゃんだけでした。
後で奥さんから聞いたのですが、僕が仕事の電話で病室から出て電話をしている間に、ミエコおばちゃんは奥さんに「さとしは優しいやろ。昔からあれは甘えん坊で。仲良くしたってな。」と言ったみたいです。
おばあちゃんが生きていても、同じ事を言っただろうなと思いました。
ミエコおばちゃんのお通夜の時、おばあちゃんが、亡くなった時よりも15.6年歳をとった僕は、少し人の死を理解できる様になったみたいで、おばあちゃんが亡くなった時よりも泣きました。最愛のミエコおばちゃんが亡くなったのだと確かな実感もありました。
お通夜の後。帰り際、仕事で次の日の葬式にでられない僕にマー君は、
「サトシ、ありがとな。明日はおばちゃんを丸焼きにしてくるでな」
と笑いながらゆっていました。またこの人は僕の悲しい気持ちを吹き飛ばした永遠のヒーローだと思いました。
もうすぐ僕にも子供が産まれます。おばちゃん大正解の女の子です。
36にもなると、周りでは産まれたり亡くなったり、とにかく人の生き死にが多いです。そうゆう歳になったんだと思います。
僕は20代にはずっとバンドをやり、ちゃんと落ち着いたのなんて、30歳くらい。当然結婚も遅く、大切な人達に自分の結婚式も、ましてや子供の顔も見せることが出来ていませんでした。
僕が貰ったものはその人達には到底返せません。
想いは一方通行で、そこからはほとんど返ってきませんが、それで良いんだと思います。
「次の人に返れば良いんだよ」と、ミエコおばちゃんは奥さんのお腹を見つめ、それを僕に教え、与えるだけ与えて亡くなったんだと思いました。
次の世代へ次の命へ、そこに返ればいいんだと思います。
人と人。先輩も後輩も。仲間も恋人も。家族も他人も。
「次の人に返れば良いんだよ」と思ってやっていけたら、自分の為だけではなく人の為に優先的に生きることを決断していけたら、しょうもない犯罪も、戦争も無くなるんだと思いました。
今年は僕の周りで多くの人が死んで産まれます。
その度、こんな事を考えていたので、今日はブログで書いてみました。
最後まで読んでくれて有難うございました。
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